ー闘病記15ー

○リハビリ リハビリは術後一週間頃からはじまりました。

一週間ベッドの上にいたので筋力が衰えているからと、スクワットやお尻上げ20回などから始めました。

熱があるので病室内で出来るストレッチばかりです。

クロストリジウム・ディフィシレという菌が悪さをしていて熱を出していたのですが、 院内感染を防ぐため、

私の看護にあたる人は皆、入室時に不織布でできたエプロンと帽子、ゴム手袋をはめることになってしまいました。

リハビリにきてくださる先生も朝10時と午後2時の2回、エプロンをつけてリハビリの指導をしてくださったのですが、

季節は5月後半、このエプロンが暑いのなんのって、とても大変だったと思います。

熱が下がったら、地下にあるリハビリ室に行きましょうね。と言われ、リハビリ室行きを楽しみにしていました。

リハビリ室に行くようになると午前中は筋力をつけるリハビリ、午後は狭くなった視野で生活できるよう作業療法士の方が指導してくれました。

少し空気の抜けたでっかいボールを投げたりとったり、自転車漕ぎや見えにくい方にお手玉を投げて貰って受けとったり、 サッカーのようにボールを蹴ったりと色々と考えてくださいました。

この病院のリハビリで面白いのは退院後の生活において不安な点をトレーニングしてくれることです。

私は退院してすぐに食事が作れるように食事を作るリハビリをして頂きました。

私は焼そばを作らせて貰う事になりました。 本当はどうしても焼きそばが食べたかったのです。

お肉を炒め、野菜を炒め、うちは焼きそばにニラをいれるのですが、とても珍しがられました。

ニラの炒め方が足りなかったせいで、元気の良いニラがツンツンと飛び出た焼そばが出来上りました。

焼そばは3玉入りだったのですが、全部作ったので試食にしては物凄い量となり 私、主人、リハビリの先生の3人では食べきれず、

後はラップをかけてリハビリ室の皆さんに食べていただく事になりました。

暫く振りで外の味を堪能しました。

リハビリの先生のお二方には本当にお世話になり、検査や診察で名古屋の病院に行った時には必ずご挨拶に伺います。

ご挨拶に伺うと私は後ろ姿で分かると言われるほど印象的だったようです。

ー闘病記14ー

血液中のナトリウムが不足しているらしく、毎食後4gのナトリウムが処方されていました。

塩だけを飲むというのはなんと苦痛なことか、

おかゆの時は食前に持ってきてもらい、おかゆに混ぜて食べたので​すがごはんにかわると塩だけを飲むしか方法がなくなってしまいました​。

ネットで調べると、脳外科の手術をした後にナトリウム不足になる人が時々いるそうです。

病院の夕食時間は午後6時です。

朝食は午前7時半、なんとその間13時間半空くことになります。

夜中の1~2時頃になると朝食がくる夢を見るようになり、無性に​お腹が空いているのです。

熱も下がり、抜糸もすみ、傷の痛みも収まって暇を持て余しつつある頃です。

朝食が待ちきれず、パンをラウンジにあるトースターで焼くシミュ​レーションのため朝の6時頃ラウンジをうろついてました。

なにも入っていないトースターのスイッチを入れ「チン」となった​ら満足して病室に帰ってきました。

今考えるとかなり危ない患者です。

病院内のスーパーで夜中に食べる菓子パンと口さみしい時につまめるチョコレートを買うことにしました。

ただ一人で歩いてはいけないと言われていたので、看護師さんに頼​んで一緒にスーパーにいって貰いました。

夜食を買うために看護師さんに連れて行ってもらうとはいい根性で​す!

何度かお願いしているうちに「きょうはお夜食を買いにいかなくて​よいの?」と言う看護師さんもいるくらい定例になってしまったよ​うです。

○蜂事件

天気の良いある日、窓を開けていたら蜂のようなものが入って来ました。

ちょうどその時は主人もいる時で、慌てて看護師さんに知らせラウンジに避難しました。

しばらくしてから看護師さんに聞くと「設備の人にお願いしたから​もう少し待ってね」ということでした。

ラウンジの前のエレベーターに設備の人らしきユニフォームの人がいたので、終ったと思い恐る恐る部屋に前に帰りました。

私にはよく見えませんでしたが、スズメバチのような大きな蜂だっ​たようです。

病院の回りは自然も多く残っており網戸がないので窓を開けていると色々入ってきて大変です。

○部屋間違い事件

眼があまり見えなかったためトイレに行った後、自分の部屋が判らず良く他の患者さんの部屋に入っていってしまいました。

いきなり入っていくため患者さんが驚き、苦情が出てトイレに近い部屋に移動をさせられました。

ー闘病記13ー

自室でシャンプーしてもらった翌日、膀胱のカテーテルが外された​ので、お風呂に入っても良いとのことでした。

久しぶりのお風呂です。(3週間ぶり)

お風呂と言っても湯船には入らずシャワーだけでしたが、とってもさっぱりしました。

ただ、自分でシャンプーする時はちょっと怖い感じがして緊張しました。

入浴時間は30分、術後自分では始めてのシャンプーだったのです​が、時間制限ギリギリで出ることができました。

食事も普通食になり、おかゆからごはんになったのですが、ご飯だと量が多くてもいても残してしまいます。

苦労して食べることが多かった病院食ですが、唯一美味しいと思っ​たのは、検査で食事時間に病室に帰れなかった時に看護師さんがご​飯を塩むすびにしてくれた時が一番美味しかった~!

おかずは電子レンジであたためてくれていて「つゆ物は温められな​くてごめんなさいね。」とあやまってくださったのですが、 塩むすびにしていてくださっただけで私は幸せです。

ご飯を残す度に何度、塩むすびがにしようと思ったことか。

私が作っても多分あの時と同じ味にはならなかったと思います。

ほんのりと暖かい塩むすびが、お腹が空いている時に喰べたのでよ​り一層美味しかったのだとおもいます。

看護師さんの気づかいも隠し味になっていたのでしょうねぇ。

病院で食べたものの中で唯一おいしかった食べ物の話しでした。

ー闘病記12ー

ナースセンターの隣の部屋には山口さんというくも膜下出血で入院​されている方がいました。

今度の出血は2度目だそうで、最初の出血の時は他の病院に入院されたそうです。

主人が帰ったあと、山口さんに色々とお話を伺ったのですが、部屋​が暗い上に顔を動かすことが出来ず、 山口さんのお顔を見ることはできませんでした。

病院の近所に住んでいる方で、病院内のスーパーに置いてあるリハビリパンツは薄手のものしか無いので、 ご主人に頼んで他の薬局で買ってきてもらったとか、

入院中にお話しした患者さんはこの方だけです。

山口さんがご自分の部屋に戻られたあとに何人か他の人が入ってき​ましたが、あまり記憶に残っていません。

私が主人に山口さんの話をすると「そんな人いなかったよ」と言うのですが、私の記憶にはハッキリと刻まれているのです。

「0と一晩中話していたんじゃない?」と怖い事を言うのですが、​私は本当に話していたのです。

やっと自室に戻ることができたのですが、熱が下がらずつらい時間が続きます。

解熱剤を飲むと下がるのですがしばらくするとまた40度近くまで上がってしまいます。

一日に35度から40度までを行ったり来たりします。

熱が出る原因を究明するため、血液検査やレントゲンなど色々な検​査をされましたが解りません。

髄膜炎を否定するためにアメリカのテレビドラマERでみたことの​ある腰椎穿刺もされました。

熱を下げるために氷枕を3つも4つも抱かされ続け、寒くなって外すと熱が上がるの繰り返しでした。

2週間位して色々やってやっと分かったのは、術後の抗生剤の点滴のせいで腸内の善玉菌が死んでしまい、抗生剤に強い悪玉菌が悪さをして熱がでたそうです。

抗生剤の投与をやめたらすぐに熱は下がりました。

なにが嫌だって、血管が見つかり難いので採血が一番嫌です。

手の甲から採血されたり、点滴も手の甲からされたりしてました。

血管を探すのが上手な人が少いので、痛い思いをしつづけました。

病院食は術後からはしばらくおかゆが続きました。

おかずは普通のご飯と一緒で、中華丼の具やカレー、納豆などのときもありました。

おかゆで中華丼というのはどちらもドロドロで、どこからご飯で何​処からおかずだかわからず、最悪でした。

後一番苦手だったのが、切り干し大根のサラダ、切り干し大根を水で戻し、マヨネーズで和え、枝豆をまぶしたサラダです。

ネットで検索すると美味しそうなレシピが沢山載っているのですが​、ここのサラダはかなり苦手でした。

悪玉菌のせいで、熱が下がってもお腹の調子が悪く、いつも便秘ぎみなので、薬をもらいましたが今度はは効きすぎー。

以来、退院して半年たった今でも便秘気味のままです。

5月も後半に入り、そろそろ抜糸する時が近づいて来ました。

抜糸と言っても糸ではなく、ホチキスの針のようなもので止めてあります。

開頭手術と言えば、髪を剃って丸坊主を連想しますが、今は緊急時以外は生えぎわから2cmくらいのところを切って、頭皮をめくっ​て頭蓋骨に穴をあけて行います。

わたしの場合は拳大の穴を開けたそうです。

開けた穴に蓋をして、チタンの金具で頭蓋骨とフタの骨をつないであります。

膿盆に抜いた針をおく音がカランカランと2回聞こえたので、2針​?そんなはずはありません。キズは20cmほどはありますから。

これで、お風呂に入っても大丈夫といわれました。

その翌日に看護​師さんが大きなビニールハウスのような物をもってきました。

そこに頭を突っ込んでシャンプーするようです。

ちゃんとシャワーも付いているのです。

底の方には排水溝のジャバ​ラがあり、そこから水が捨てられるようです。

シャワーのお湯は量​が少なく途中でなくなったので、あとはヤカンに入ったお湯ですすぎました。  

これで術後初めてのシャンプーは終わりです。

ー闘病記11ー

手術後、NCU(脳外科専門のICU)へ入りました。

  目が覚めるとS先生が人差し指を出して「手を握ってごらん」というので、 思いっきりぎゅっと握りました。

握る事が出来るようならOKのようで、良々とうなづいていました​。

『呼吸器はしばらく付けたままにしておくから、いいね?』と言われましたが、 硬いプラスチックのようなものが喉の奥に当たってとっても気持ちが悪く、  

舌で動かそうとしたら、外れてしまったようで、ピーピーと警報音​が鳴ってしまいました。

外さないでねと言われても、口の中の異物は我慢ができない!しゃべれない!

S先生が「あなたの手術は大変だったんだよ!

瘤が動脈硬化していてとても薄くなっていて、 手術中に破れてしまったんだよ、

止血したけれど血栓が飛んでしま​ったので、少し心配なんだ。」と言うのですが、生きて帰って来れて良かったと先生の顔を見ながらうなずいていました。

手術は病室を出てからNCUに帰るまで13時間かかったそうで、 その間は麻酔で眠っている私より主人の方が色々あったようです。

普通、術後は一般病棟のナースセンターの隣室に入るのですが、 私の場合は自室に帰れました。

ここから、また絶対安静がはじまります。

前回の検査とは違い今回は頭を開けているので、仰向けで寝るのは​苦痛でした。

固いまくらに頭をのせろと言われてものせたくない!

ずっと同じ姿勢なので背中が痛くなりその度に看護師さんに枕を背中にはさんでもらったりさすってもらったりしました。

苦労しながらも絶対安静の時間も過ぎ、朝になりました。

私の昼食が終わり主人が昼食を食べにいくというので、少し寝る事​にしました。

起きると大変な騒ぎになっていました。

後で主人に聞いたのですが、主人が食事から帰ってくると病室は空で看護師さん達が大わらわ!

私の意識レベルが下がったとナースセンターの隣室へ移動されていたそうです。

つねってもあばら骨の間をグリグリしても目を覚まさない私を心配して大騒ぎだったそうです。

その日は土曜日で担当のM先生がお休みの日だったので、NCUにつれて行こうかという話にまでなっていたそうです。

まずCTをベッドに寝かされたまま撮りに行きました。

その後、みんなの心配をよそにのんきに目覚めた私は「なんで起きなかったの?」という質問にも 「だって眠かったんだもーん」としゃあしゃあと答えたのでした。

お休みだったM先生がいつの間にか私服のまま病室に来ていました​。

先生、お休みの日をつぶしてごめんなさいっ!

MRIをまたベッドに寝たまま撮りに行き主人が先生の説明を聞きました。

やはり血栓が飛んで右脳の一部に梗塞があるそうでそのせいで意識レベルがさがったのでしょう。

麻痺が出ていないのでとりあえずは大丈夫だと説明されました。

その日は主人が東京に帰る日だったのですが、急遽延ばすことになりました。

ー闘病記10ー

月曜日に入院して手術は木曜日、 それまでは暇なので外泊しても良いと言うのですが、 それなら入院する日を少し送らせてくれた方が良かった。

気楽に外泊というけれど、新幹線使って帰るのだから往復2万の交​通費がかかるので、そうやすやすと帰れるわけがないのよ先生!

手術の日まで毎日お風呂に入りのんびりと過ごしました。

術前の説明では様々なリスクを説明されました。

私のように30ミリもある場合はリスクも他の人より高いそうです​。

視神経を傷つけた場合は目が見えなくなります。

動脈硬化があると手術中瘤が破裂する可能性もあります。

そのため、頸動脈にバルーンを入れ血流を止めた状態でクリッピン​グをするのだそうです。

また、動脈瘤に血栓がありそれが飛ぶと血管を塞いで脳梗塞になる可能性も数%あると説明されました。(なぜが血栓は飛ぶと言いま​す。)

脳梗塞になると片麻痺や失語症等の症状が出ます。

検査入院の初日に二人部屋にいた方が、先生の説明が聞こえたらしく、大変そうな手術なのね。と言われました。

ここの病院ではクリッピングの手術は毎日行われているので、皆さん安心して手術に望むのですが、 私は人と違う大きさのため普通はしない手技をしなくてはいけませ​ん。

この手術は出来る病院は限られているそうでそのために名古屋まで​くることになった訳なのです。

動脈瘤は遺伝することが多いそうですのでご家族のうちで「くも​膜下出血」になられた方がいた場合は脳ドックで検査することをお薦めします。

いよいよ手術当日です。

トイレに行って帰ってくると、M先生が9時だから迎えに来たよと​言ってニッコリ笑いました。

主人に行ってくるねと言って車椅子で手術室まで行きました。

大きな自動ドアを通るとそこからは手術室が並ぶフロアー、外とは​違い1~2度は低くヒンヤリとした空間でした。

手術室に入り看護師さんに術後に使う紙おむつと紙で出来た帽子を渡し、手術台に。

前回の検査とは違い今回は全身麻酔です。

ちゃんと生きて目が覚める事が出来るのか、後は先生達に命を託すのみです。

ー闘病記9ー

いよいよ本入院ですが、ほとんど誰にも言わずに入院することにしました。

入院当日も一人で名古屋まで行きました。

朝9時50分に着くためには6時半に家を出ないといけません。

駅から病院までのバスが遠回りするバスしか無く、ギリギリの時間​に着きました。

慌てて入院手続きの窓口に行くとしばらく待たされたあと、 あなたは本日入院の連絡が入っていませんと言われました。

脳神経外科に連絡をとってもらい何とか入院する事が出来ました。

検査入院ならまだ心に余裕がありますが、数日後に手術を控えた本​入院では動揺します。

検査の退院時に手続きをしてくれた看護師さんが、入院のオーダーを忘れたようなのです。

私が悪いのとあやまってくれたので、何とか落ちつきました。

部屋に入ると昼食の時間で、たった今入院のオーダーをいれたばかりなので、私の分の食事はありません。

病院食よりレストランで食事をした方が美味しいから、この点はラ​ッキーかも? すったもんだした挙句無事入院、担当の先生が来てくださり、なだめて下さいました。

だって命をあずけるのだもの不安があっては手術なんてしてもらえませんから。

早めに入院したほうがいいという事で、手術の3日前に入院したというのに。。。。