ー闘病記12ー
ナースセンターの隣の部屋には山口さんというくも膜下出血で入院されている方がいました。
今度の出血は2度目だそうで、最初の出血の時は他の病院に入院されたそうです。
主人が帰ったあと、山口さんに色々とお話を伺ったのですが、部屋が暗い上に顔を動かすことが出来ず、 山口さんのお顔を見ることはできませんでした。
病院の近所に住んでいる方で、病院内のスーパーに置いてあるリハビリパンツは薄手のものしか無いので、 ご主人に頼んで他の薬局で買ってきてもらったとか、
入院中にお話しした患者さんはこの方だけです。
山口さんがご自分の部屋に戻られたあとに何人か他の人が入ってきましたが、あまり記憶に残っていません。
私が主人に山口さんの話をすると「そんな人いなかったよ」と言うのですが、私の記憶にはハッキリと刻まれているのです。
「0と一晩中話していたんじゃない?」と怖い事を言うのですが、私は本当に話していたのです。
やっと自室に戻ることができたのですが、熱が下がらずつらい時間が続きます。
解熱剤を飲むと下がるのですがしばらくするとまた40度近くまで上がってしまいます。
一日に35度から40度までを行ったり来たりします。
熱が出る原因を究明するため、血液検査やレントゲンなど色々な検査をされましたが解りません。
髄膜炎を否定するためにアメリカのテレビドラマERでみたことのある腰椎穿刺もされました。
熱を下げるために氷枕を3つも4つも抱かされ続け、寒くなって外すと熱が上がるの繰り返しでした。
2週間位して色々やってやっと分かったのは、術後の抗生剤の点滴のせいで腸内の善玉菌が死んでしまい、抗生剤に強い悪玉菌が悪さをして熱がでたそうです。
抗生剤の投与をやめたらすぐに熱は下がりました。
なにが嫌だって、血管が見つかり難いので採血が一番嫌です。
手の甲から採血されたり、点滴も手の甲からされたりしてました。
血管を探すのが上手な人が少いので、痛い思いをしつづけました。
病院食は術後からはしばらくおかゆが続きました。
おかずは普通のご飯と一緒で、中華丼の具やカレー、納豆などのときもありました。
おかゆで中華丼というのはどちらもドロドロで、どこからご飯で何処からおかずだかわからず、最悪でした。
後一番苦手だったのが、切り干し大根のサラダ、切り干し大根を水で戻し、マヨネーズで和え、枝豆をまぶしたサラダです。
ネットで検索すると美味しそうなレシピが沢山載っているのですが、ここのサラダはかなり苦手でした。
悪玉菌のせいで、熱が下がってもお腹の調子が悪く、いつも便秘ぎみなので、薬をもらいましたが今度はは効きすぎー。
以来、退院して半年たった今でも便秘気味のままです。
5月も後半に入り、そろそろ抜糸する時が近づいて来ました。
抜糸と言っても糸ではなく、ホチキスの針のようなもので止めてあります。
開頭手術と言えば、髪を剃って丸坊主を連想しますが、今は緊急時以外は生えぎわから2cmくらいのところを切って、頭皮をめくって頭蓋骨に穴をあけて行います。
わたしの場合は拳大の穴を開けたそうです。
開けた穴に蓋をして、チタンの金具で頭蓋骨とフタの骨をつないであります。
膿盆に抜いた針をおく音がカランカランと2回聞こえたので、2針?そんなはずはありません。キズは20cmほどはありますから。
これで、お風呂に入っても大丈夫といわれました。
その翌日に看護師さんが大きなビニールハウスのような物をもってきました。
そこに頭を突っ込んでシャンプーするようです。
ちゃんとシャワーも付いているのです。
底の方には排水溝のジャバラがあり、そこから水が捨てられるようです。
シャワーのお湯は量が少なく途中でなくなったので、あとはヤカンに入ったお湯ですすぎました。
これで術後初めてのシャンプーは終わりです。